オークションレビュー:JAPAN 2009年上半期

コラム | 2009-10-02 14:19:07

2009年、JAPANオークションの上半期(1月~6月)の結果です。

作家作品名技法画寸制作年落札見積価格(円)落札額(円)オークション会社
1岸田劉生静物(砂糖壺・リーチの茶碗と湯呑・林檎)板にキャンヴァス・油彩 サイン 額装45.3×52.8cm1919年100,000,000 - 150,000,000135,000,000SHINWA
2マルク・シャガール二人の曲馬師キャンヴァスに紙・油彩 グワッシュ サイン 額装58.5×44.2cm1939年30,000,000 - 40,000,00035,000,000SHINWA
2ルチオ・フォンタナ空間概念キャンヴァス・水生ペイント サイン 額装46.0×38.0cm1966年20,000,000 - 30,000,00035,000,000The Market
4マルク・シャガールオレンジ色の上着を着た画家紙・グワッシュ パステル クレヨン サイン 額装65.7×49.0cm1973年26,000,000 - 36,000,00034,000,000est-ouest
5レオナール・フジタ二人の子供キャンヴァス・油彩 サイン 額装46.0×38.2cm1952年30,000,000 - 40,000,00033,000,000SHINWA
6レオナール・フジタ幻想風景キャンヴァス・油彩 サイン 額装103.0×208.2cm1917年10.000.000 - 20.000.00028,000,000SHINWA
7アンリ・マティス婦人像紙・木炭 サイン 額装40.3×52.8cm1919年15,000,000 - 25,000,00027,000,000SHINWA
8パブロ・ピカソ男の横顔と裸婦紙・パステル サイン 額装47.0×63.3cm1972年25,000,000 - 30,000,00023,000,000MAINICHI
9東山魁夷山挟の朝紙本・彩色 印 額装24.0×35.3cm15,000,000 - 20,000,00020,500,000SHINWA
10杉山 寧麻布・彩色 印 額装39.5×54.6cm1809年20,000,000 - 30,000,00020,000,000SHINWA
10ラウル・デュフィ赤と青のクィンテット油彩・キャンヴァス サイン 額装33.0×40.8cm1948年16,000,000 - 26,000,00020,000,000est-ouest

上半期オークション会社の動き

2009年の主なオークション会社(シンワ毎日エストザ・マーケットマレット、AJC、オーガーアートマスターズ8社)全体での上半期落札総額は52億2,359万750円。
昨年は総額95億1,681万2,500円で、前年比55%、約43億円減。全社が減額となりました。
1,000万円以上の落札は昨年の上半期では108点あったところ、今年はわずか29点と高額作品の大幅減が目立ちます。
そんな不況下の中、毎日オークションは前年上半期シェア率を30%から46%と伸ばしています。シンワアートオークションは現代美術の不調が顕著で、コンテンポラリー部門だけで見ると2億2000万円減の5500万円となっています。

不況下でも強い作家

高額落札が以前に比べ難しくなってきている現在の市況では、高価な作品は市場に出品されにくくなってきています。そんな中、2009年上半期で最も落札総額が多かったのは、シャガール1億5,510万円(出品数17点)。次いで岸田劉生1億3,260万円(出品数2点)、藤田嗣治1億1,970万円(出品数20点)となっています。

シャガールは出品数も多く、落札額も平均1,410万円と高いですが、落札率は65%と低く、岸田劉生は上半期、唯一1億円超えの落札となった作品「静物(砂糖壷・リーチの茶碗と湯呑・林檎)」に依るところが大きいです。
藤田嗣治は出品数が20点、落札率80%とシャガールより高く、日本作家の中でも特に人気の高い作家といえます。

各オークション会社 シェア率

PICK UP:岸田劉生

「静物(砂糖壷・リーチの茶碗と湯呑・林檎)」 油彩 板 キャンヴァス 1919年 45.3×52.8cm

岸田劉生(1981~1929)

近代日本を代表する洋画家、岸田劉生は明治24年、東京銀座に生まれます。明治41年には葵橋洋画研究所に入り黒田清輝に師事しました。明治45年、高村光太郎、萬鉄五郎らとともにヒュウザン会を結成。第1回ヒュウザン会展には14点を出品し、画壇への本格的なデビューをしました。劉生の初期の作品はポスト印象派、特にセザンヌの影響が強いですが、この頃からヨーロッパのルネサンスやバロックの巨匠、特にデューラーの影響が顕著な写実的作風に移っていきます。

大正4年、現代の美術社主催第1回美術展に出品。大正4年に描かれ、翌年の第2回草土社展に出品された『切通しの写生(道路と土手と塀)』は劉生の風景画の代表作の一つです。大正6年、結核を疑われ、友人の武者小路実篤の住んでいた神奈川県藤沢町鵠沼の貸別荘に転地療養の目的で居住します。そして大正7年頃から、娘の岸田麗子の肖像を描くようになります。ここでは劉生を慕って草土社の椿貞雄や横堀角次郎も鵠沼に住むようになりました。大正12年、関東大震災で自宅が倒壊し、京都に転居し、後に鎌倉に移ります。この鵠沼時代がいわば岸田劉生の最盛期となりました。昭和4年には生涯一度となる中国への海外旅行帰国後に、滞在先の山口県で胃潰瘍と尿毒症を併発、同地で死去。享年38歳でした。写実的描写で対象に深く迫る精神性は現代でも高く評価されています。

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